パスのピアノと趣味のブログ

こんにちは。6~9歳までピアノを習っていて、大人になってから再開したパスの成長を綴ったブログです。それと趣味に関することも書いていきます。

記憶ブログ

今日のブログは忘れないための記憶として書いておきます。

勿論、Wordにも移しておく。

 

自分の知り合いは全てを見透かしていた。自分の本質までも。

 

自分が如何に子供か教えてくれた。そして今までのメールや何もかもの無視も独り立ちの荒療治だった。

 

コレは本当に驚いた。種明かしされて、更に3段飛びくらい成長できたと思う。

 

全てを自分で責任を取る。大人なら当たり前のこと。しかし、自分は出来なかった。だから荒療治をした。

 

その種明かしがとてつもなく自分に響いた。

承認欲求、感情の制御が出来ない、感情のまま話、動き、投げっぱなし。それが自分だ。

 

事実、荒療治で自分は3段飛びをした。種明かしをされて合計6段と行かなくとも4、5段は飛び越えられたのではと思う。

 

それに負担をかけすぎていた。メールするのも相手に負担、自分にも負担。だから本当に極力メールはすべきではないと思った。

 

大人の親子の関係は親が子に構って欲しくなるのが大人の親子だという。自分はそれを知らなかった。その人に聞くまでは。

 

普通はずっと音信不通。それが正常だと。

 

当たり前のことを今まで知らなかった自分、なんという愚かな者なのだろうか。

父親はこんな事カスリも教えてくれなかった。

トコトン、教育には不向きな父なのだろう。

 

そしてピアノの存在意義、これはずっと謎だったが、改めて分かった。

ピアノは自信をつける成長要素であり社会的接触になり、何よりその技術は一生ものなのだ。一生楽しめる自分だけの音。

 

それを知らず自分は言われるがままにエリーゼのためにを経て戦場のメリークリスマスを経て子犬のワルツになった。

 

改めて赤ん坊が子犬と苦戦してるのだと思った。しかし、改めて保育園児か小学生くらい成長して子犬とワルツをしたいと思った。

 

考え抜かれている。自分の為に恐ろしほどまで考え抜かれている。そして見抜かれている。

 

ピアノはもっともっと真面目にやろうと思った。努力が悲しいほど足りなかった。今まで才能だけでカバーしていたから、そこに努力を加えれば本当の自分だけの音を掴めるのではと思った。

 

全てにおいて甘い。コレに尽きる。甘ちゃんだ。

 

空手道 極真会館に属していたのに何も鍛えられなかった。強くなったのは四肢の武器化だけ。そんなものは何も意味がない。

 

ピアノの真実を聞いたからこそ、ピアノをやるべきなのだと思った。

ピアノはスポーツだ、努力をすればそれに返ってくる。ギブアンドテイク。

 

そういう道だ。

自分はピアノだけで何になるか分からないし不安しかないが、自信になってくれるなら将来の楽しみになるなら頑張れる。

 

相手に大きく負担をかけないで自分自身と闘おうと思った。

 

誰に聴かせるでもなく誰に為ではなく自分の為だと種明かしと荒療治で真に気づかされたと思う。